『栄花物語』和歌の異同

『栄花物語』和歌の異同

2021年02月15日

こんにちは。京都書房編集部のKです。
大学入学共通テスト(以下、共通テスト)も第2日程まで終わり、入試本番の時期となり、編集部も慌ただしくなり始めている今日この頃です。

さて、今回は共通テスト第1日程の第3問(古文)から『栄花物語』和歌の異同についてのお話です。

問5で新傾向と言える和歌に関する応用問題が出題されました。東宮の若宮の御乳母の小弁の和歌「悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か」に対する返歌としての長家の和歌についての出題でした。
長家の返歌「慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり」が、『千載和歌集』では「誰もみなとまるべきにはあらねども後るるほどはなほぞ悲しき」となっているという具合に、『栄花物語』と『千載和歌集』で和歌が異なるということでした。

共通テストで出題された本文の箇所(藤原長家の妻が亡くなり、親族らが亡骸をゆかりの寺に移す場面)の前まで遡り読んでみることで、この和歌の異同について考えてみたいと思います。

章名:ころものたま
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《原文》
・「中納言殿(=長家)は、今は御心地おこたらせ給へど、上(=斉信女・北の方)の御有様のいみじきに、我平らかにおこたりにけん事も悔しうおぼさる。」
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長家は「赤もがさ」という流行病に罹り、平癒したが、北の方(=斉信女)は懐妊の上に赤もがさを患っていた。
*「赤もがさ」は現代で言う「麻疹(はしか)」のことで、この当時大流行し、白河天皇をはじめ、多くの公家や皇族も命を落としたことが他の歴史物語でも描かれていた。

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《原文》
・「まことのほどにて生まれ給へる児のやうにて、いみじう大きにいかめしき男君にて、やがてなくなりて生まれ給へるを見つけ給へる大北の方の御心地、いかがはある。」
・「大納言、中納言殿も、這ひ寄り這ひ寄り、この若君をうち見うち見、泣き給ふ。」
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長家と北の方の子供である男君が生まれたが、死産であった。長家は大納言とともに、深い悲しみの中にいた。

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《原文》
・「大納言殿も母北の方もつととらへ奉りて、ものもおぼえ給はぬほどに、やがて限りになり給ひぬ。」
・「中納言殿、めづらかに泣きののしり給ふ。」
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男君に続き、北の方も出産後、ついに逝去された。長家は普通ではない程、泣きわめいていた。

共通テストの本文の前を読んでみると、家長は妻を亡くしただけでなく、子供も亡くしていたことがわかりました。

『栄花物語』の「慰むる方…」の歌では、前の歌(東宮の若宮の御乳母の小弁の和歌)の「悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か」に対し、「思いなだめる方法もなく、世間の無常も知らない」と、前の歌の慰めを全く受け入れられない様子が伝わってきます。

一方で、『千載和歌集』の「誰もみな…」の歌では、前の歌に対し、「誰も生きとどまることはできないが、後に残されるほうはやはり悲しい」と、世間の無常については理解を示しながら、そうは言っても、妻に先立たれ悲しいという思いが伝わってきます。

長家はどちらの歌の思いも抱いていたでしょうし、さまざまな解釈や論説がありますが、今回本文を遡って読んでみて、立て続けに肉親を亡くした経緯を鑑みると、世間の無常を受け入れることは難しかったのではないかと私は思いました。

古文は出典によって、大なり小なり異同が散見されます。
異同により、訳はどう違っててくるのか、解釈はどう違ってくるのかを考えながら、古文を読んでみるのも面白いと感じました。

今回のように複数のテキスト(資料)を読み比べさせるような問題が今後も出題される可能性があることからも、「異同」に注目してみるのもよいかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『栄花物語』については、京都書房の資料集(『新訂国語図説 五訂版』『新国語総合ガイド 五訂版』『新訂国語総覧 第七版』)でも取り扱っていますので、併せてぜひ一度ご確認ください。

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